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まだおべつおラジオ

日々小実験

本とカフェ

日常生活

 今朝「dマガジン」で雑誌を見ていたら、Hanako(No.1127)は「本とカフェ」が特集記事だった。

気になる本を小脇に抱え、居心地のいいカフェでゆっくり過ごしてみるのはどうでしょう。

 いいですね。
 図書館で本を読むのも少し飽きてきていたので、さっそく乗っかって行くことにした。
 なじみのカフェなんてないから、まずは入りやすい近くのドトールから。
 心配性の私はドトール行くにも下調べは欠かせない。
 ドトールバリューカードを作るのかお得らしい、との情報を得た。
 100円ごとに1ポイントがたまるし、チャージするごとにもポイントがたまるって。

ドトール バリューカード


 お店に入ったらまずカードを作成。
 カード購入の手数料は300円なのだが、ポイントが300円分付くので実質無料。
 ミラノサンド(C)とカフェモカを注文して本を読むことにした。
 

 ぜいたくな読書タイム。
『時間と自由意志』という本を持ち込んだのだが、難解すぎて全く頭に入らず、周りの女性たちの声につい耳が行ってしまうのだった。
 結局、カフェでHanakoの「本とカフェ」を読むこととなりました。

 今度はもう少し軽い本を持ち込もう。

 

Hanako (ハナコ) 2017年 2月23日号 No.1127[本とカフェ。]

Hanako (ハナコ) 2017年 2月23日号 No.1127[本とカフェ。]

 

 

 

時間と自由意志:自由は存在するか (単行本)

時間と自由意志:自由は存在するか (単行本)

 

 

 

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上司トランプ

思ったこと

 トランプ大統領がいろいろやっている。
 やっていることの是非や人柄とかをすべてかっこに入れてしまって、
 こんな上司がいたらどうかと考えてみる。
 意外と似たような上司っているのではないか。
 着任早々、過去からの慣例などを「素人目線」で洗い直す。
「なんでこうなの?」といちいち訊く。
 根本的なところから些末なことまで付いてくるので仕事が回らなくなる。
 部下はまいったなあと思う。
 しかし自分が漠然とやっていた仕事の意味とかを改めて理解したりする。
 いい意味で引っかき回す上司は部下の仕事に対する見方を変えてくれる。
 そういう上司はめんどくさいが、きらいではない。

 言うまでもなく、そもそもアメリカの大統領は企業の係長とかとはかなり違う。
 影響を与えるのが人権やら戦争の話なので同一視をするつもりもない。
 直接の上司がトランプだったらパワハラとかもすごそうだ。
 おまえは首だって言われちゃいそうだし。
 政策もやり方も気にくわない。
 よくできる上司は「素人目線」で見ることができるが、トランプさんは素人だし。
 だが、わーっと言うだけ言って批判を何とも思わないトランプさんのタフさには、線の細い私は少しあこがれてしまうのだった。

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パウロ 十字架の使徒

青野太潮 岩波新書
 

 パウロといえば確かキリスト教の基礎を作った人ということは知っていた。
 世界で初めて目から鱗が落ちた人として有名。
 しかしそれしか知らない。
 どんな人なのかわからなかったので読んでみた。
 第一章はパウロの生涯、第二章は手紙の概略が書かれている。
 パウロは生前のイエスに出会っていない。
 最初はキリスト教を迫害していたが、「回心」してイエス・キリストの福音を宣教した。
 この伝道旅行は総距離およそ2万キロだそうだ。
 すごい。
 最終的にユダヤ人に捕まってしまいローマに護送されて処刑されてしまったらしい。

 とてもおもしろくなるのは第三章「十字架の神学」第四章「パウロの思想と現代」。
 イエス・キリストの「意味」についてよく聞くのが次のような話。

今日のキリスト教会においては、贖罪としてのイエスの十字架こそが決定的なのだ、それなくしてはキリスト教の独自性は失われてしまう、と考えられている。(略)
イエスが十字架上で流した血を「究極の代償」として理解する「イエスの贖罪」という捉え方は、ユダヤ教における伝統的な贖罪論の延長線上にある。イエスはわれわれ人間の罪を贖うために、自ら「生け贄」となって神の前に立ち、その犠牲的な「死」によって神に義とされたのだという捉え方である。ここで重要なのは「イエスの贖罪」という捉え方には、イエスは何もかもすべてを見通した上で自ら粛々と死の道に就いた、という理解が含まれている。(p178)

  イエスは人間の罪を贖うために自ら生け贄になって、復活して、というストーリーにひっかかりがあった。というより意味がわからなかった。

「イエスは何もかもすべてを見通した上で自ら粛々と死の道に就いた」ならば、すべて演技だったことになる。
 死んでも復活するもんねーと言いつつ十字架に架けられたのか。
 そのような「演技」から信仰が生まれるものだろうか?というのが私にとっての違和感だった。
 しかし、そうではない、と青野さんは(そしてパウロは)言う。
 そもそも、イエスは粛々と死の道に就いたわけではなかった。

さて、第六刻(正午)になると全地を闇が襲い、第九刻(午後三時)におよんだ。そして第九刻に、イエスは大声で叫んだ、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」。これは訳せば、わが神、わが神、どうして私をお見棄てになったのか、という意味である。すると、傍らに立っていた者のうち何人かが、これを聞いて言い出した。「見ろ、エリヤを呼んでいるぞ」。そこである者が走ってゆき、海綿を酢で一杯にした後、葦[の先]につけ、彼に飲まそうとして言った。「エリヤがこいつを降ろしにやってくるかどうか、見てやろうではないか」。しかしイエスは大声を放って息絶えた。(マルコによる福音書15章33-37節)(p112)

  実に無残に人間らしく死んだのだ。

 その後復活する「強いキリスト」ではなく、十字架上で無残に刑死したイエスに踏みとどまるのだ、と青野さんは言う。

無残な姿をさらし続けるイエス・キリストとともに、十字架を担い続けていくこと。自らの力に頼り、自らの業績を頼みに生きる「強い」生き方ではなく、イエスとともに、そしてこの世の苦難を強いられている人たちとともに十字架を担い続ける「弱い」生き方の中にこそ、本当の意味での「強さ」が、そして「救い」が逆説的に存在する。「イエスの十字架」以外は誇らないと語るパウロは、苦難の多い道かもしれないが、そうした逆説的な生を選び取ろうではないか、とわれわれに訴えているのである。(p158)

  腑に落ちるものである。

 価値を転倒させるというのが文学のひとつの役割だとすると、キリストの刑死は宗教的というより文学的な事件であった。

 今さら気づいたけど。

 

パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)

パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)

 

 

インプット・インプット・インプット

日常生活

 先日読んだ池上彰さんと佐藤優さんの本にさっさと影響されたので、2月1日を待って電子版の新聞を取ることにした。

 

matubetuo.hatenablog.com

  申込み月が1ヶ月分無料だから、1日に入るのである。せこいが。

 そもそも読売新聞をとっているので、もう一紙をどうするかだが、おふたりのアドバイスにしたがって朝日新聞デジタルに入った。

池上 どちらかに偏るのは避けて、「1紙は保守系、もう1紙はリベラル系」というように、論調の異なる新聞を2つ読むようにしたいですね。新聞にはそれぞれ「独自のクセ」がありますが、1紙しか読んでいないと、そのクセを自覚しなくなってしまうので。

佐藤 (略)『朝日新聞』の論調は、好き嫌いがはっきり分かれますが、国会議員や官僚といったパワーエリートが好んで読み、その影響下にあるのは紛れもない事実です。(略)

  日経や朝日を電子版で読んでいたこともあった

 

matubetuo.hatenablog.com

 が、日経読んでたときはまさにこのような結果だったし。

池上 それと一つ注意したいのが、若手ビジネスパーソンや就職活動を始めた大学生が陥りがちな『日本経済新聞』の罠です。向上心の高い若者ほど、いきなり『日本経済新聞』を読もうとして挫折してしまうんですよ。そもそも日ごろから一般紙を読んでいない人がいきなり『日本経済新聞』を読もうとしても、これはハードルが高すぎます。

 若者ではないが。
 

 ついでに読売も電子版(読売プレミアム)に入ってみたが、朝日に比べると使い勝手は劣る。
 夕刊は紙面イメージで読めないみたいだし。
 非常に安い(月プラス150円)けど。
 

 念のため、おふたりがチェックしているウォール・ストリート・ジャーナルはどんなものかな、とサイトを見てみるとウィンターキャンペーンだそうで3ヶ月100円で購読ができるらしい。WSJ


 さすがに通常価格で三紙は取れないが3ヶ月100円ならということでこちらも登録。
 これで戦力はそろった。
 あとは使いこなすだけだ!
 

 まあ、これが最大の問題なわけだが。

 

金の斧青の斧

日常生活

自動車普通免許の更新をしてきました。
苦節20数年、ついに初の金色免許である。
艱難辛苦を乗り越えての金。
誰も誉めてくれないので自分で自分のことを誉めてやりたい。
まあいろいろありましたねえ。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経速度超過駐車違反速度超過速度超過弱肉強食焼肉定食。
最近は乗る距離が減っているとは言え、運転が丸くなったと言えよう。
飛ばしてもしょうがないですからね。
これからもゆっくりのんびり慎重に緊張して乗ります。

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僕らが毎日やっている最強の読み方──新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意

池上彰 佐藤優 東洋経済新報社

 毎月(毎週?)のように本を出しているお二人がどのように新聞、雑誌、ネット、書籍の各種のメディアをどのように読みこなしているかを具体的に解説してくれるという夢のような本。
 お二人の本をすべて読んでいるわけではないが、何でも知っていてすごいなあ、といつも尊敬している。
 それに加えてこういう「創作の秘密公開」的な本は好きで、読むだけで池上さんや佐藤さんになれるかもよ、と思ってしまう。
 だがこないだ池澤夏樹さんの『知の仕事術』を読んだばかりで、さすがに買うまではどうなのよ、と書店で立ち読みしていたら、あまりにおもしろいから結局kindle版を購入。

 私は最近まともに新聞を読んでいなかったのだが、お二人は新聞の重要性を説く。

佐藤 池上さんはかなりの数の新聞に目を通しておられますが、情報の窓口は、いまも新聞がメインですよね?
池上 はい。インプットの基本姿勢は長年変わっていません。まず新聞で日々のニュース全体を捉えニュースで気になるテーマがあれば、書籍で深掘りしていく。ニュースをきっかけにして、わからないところが出てきたら関連する本を片っ端から読む,というイメージです。
佐藤 私のスタンスも基本的に同じです。この本の大きなメッセージのひとつになりますが、世の中で起きていることを「知る」には新聞がベースになり、世の中で起きていることを「理解する」には書籍がベースになります。両方を上手に使いこなすことが重要で、どちらか一方に偏るのはよくありません。

 ただ、私はここ数年で新聞が信用できなくなっていて、数ヶ月「新聞読まないキャンペーン」を個人的に繰り広げてきていた。

 だいたい、いまやネットの情報で十分ではないだろうか。

池上 新聞をとっていない人も最近は多いようですが、じつはそういう人も日々「新聞の情報」自体は断片的に見聞きしています。ニュースサイトで配信される記事の多くは新聞社や通信社が配信したものですし、SNSや個人ブログでリンクを張られている情報をたどっていくと、「第一次情報は新聞」というケースが非常に多い。
佐藤 おっしゃるとおりです。新聞の発行部数は世界的にも減っていますが、だからといって新聞の影響力が小さくなったわけではありません。ネットの普及によって、実際の発行部数以上に多くの人が新聞の情報を目にしています。それにメディア関係者も、なんだかんだ言って新聞を情報源にしていることが多い。

 そう言われれば新聞の影響力はいまだに衰えてはいないのだろう。

 ネットで選別されたニュースを見るよりは一次情報である新聞にあたったほうがよい。
 それに見出しをぱぱぱーっと読むくらいならそんなに時間がかかるわけではない。
 せっかく新聞をとっているのだからもう少し活用してみる。

佐藤 新聞の読み方について重要な大前提をひとつ。「新聞は少なくとも2紙以上読まなければ危険だ」というのが池上さんと私の、現在の共通意見です。

 といっても「定期購読する新聞は、一般的なビジネスパーソンなら1紙で十分」で、もう一紙は駅売りとかコンビニで買えばいいということなので一安心。

 そんなお二人は、新聞だけで十紙以上定期購読しているのだった。
 雑誌や書籍についても刺激になることが書いてあり楽しい。
 もっと若いうちにこんな本があったら池上さんか佐藤さんになれたかも、と思いつつインプットとアウトプットの練習をも少しやってみるか、という気にさせる本でした。

 

 

あらすじ

 私は映画や小説のあらすじを書いたり、ましてや話したりする能力がない。
 だから他人に「あの映画見たよ」と言って「で、どうだった?」と尋ねられて「おもしろかった」で話が終わってしまう。

 どうすれば町山智浩さんのようにおもしろく話せるのだろう。
 ブログではこの記事にあるように、ネット上から引用してごまかしていた。

matubetuo.hatenablog.com

 だが、実際に見たり読んでいたりするときは最低限のあらすじを脳内で自分なりに作っているはずだ。
「あいつは蒲田に上陸したあと海に帰り、しばらくしてから鎌倉に再度現れた」とか。
 そうでなければ、絵画か写真しか理解することができないことになってしまう。
 小谷野敦さんの『文章読本X』に、あらすじを書く練習がいいと書いてあった。
 確かに文章を書くにあたって、あらすじをきちんと書くというのは技術の要ることだ。

 何より、ポイントを押さえて書く、と言うのは私の弱点克服にはもってこいな気がする。
 トレーニングとしてさっそく実際にあらすじを書いてみると、それこそ「あら」が目立ってしまい、ああでもないこうでもないとやっていると、いつのまにか全文の引用に近くなっていく。
 それはあらすじじゃないぞ、とばっさり切り捨てる、の繰り返し。

 苦労しそうです。
 これからは稚拙でもあらすじを書いていきますので、おつきあいください。

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