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日々小実験

『ラカンの精神分析』を読めなかった

ラカン精神分析新宮一成  この間読んだ『生き延びるためのラカン』、そして『極太!!!思想家列伝』の流れから、ラカンについてある程度もう少し勉強したいと思い、この本を読んでみた。というか、この本にチャレンジするのは通算三度目。最初は数ページで挫折。二回目はたぶん去年読んでみた。最後まで読んだ形跡がある。しかし全く分からなかった。そして今回。これまた最後までボールペンで読んだ足跡を付けておいたが、最後の方はかなり適当に読み飛ばした。だけどAmazonではかなりわかりやすい、と高評価なんですよね。  ただ、三度目にしてある程度分かってきたことがある。それはラカンは思想家、というよりは精神分析家なんだ、ということ。あたりまえですが。しかしこれはおそらく読む方の構え方として思想家だと思って読むとだめだ、ということがある。思想の本だと、どんなにもったいぶった言い方だとしても、また、論理がぐちゃぐちゃだったとしても、まず自分の思考のかたちを何らかの体系に沿ったかたちで本にしてある。ラカンは違って、実際の精神分析の症例を基に自らの考え方を提示する。そしてその考え方をまた症例により発展、補強する、というスタイルをとっている。したがって、この本においても症例をまさしく「例」として捉えるのではなく、むしろ症例が考え方そのものだ、という読み方をしないと、大事なことを読み飛ばしてしまう。虚心坦懐に読めばすらすら理解できるのかもしれないが、何かしら先入観を持った読み方はまずい、ということを三度目にして分かった。ラカンの入門書なのだから、むしろそのエッセンスを先にピックアップしてもらい、それを症例にあてていくというスタイルの方が私は好きなんだけども、たぶんこの本の形の方がラカンに近づくには正しいのだろう。つまり腑分けされたラカンでなく、生きているラカンに近いんだろうなあ。  長々と書きましたが、そういうことでラカンに寄り添って読んでみたけど、うまく言葉にできないです。というか、ラカンの思想は「言葉」がポイントだと言うことですけどね。引き続き『ラカン』(フィリップ・ヒル)を読んでみます。