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まだおべつおラジオ

日々小実験

ゼロヴィル スティーヴ・エリクソン

 柴田元幸訳 白水社
 エリクソンの小説を読むのは久しぶり。
 たぶん『Xのアーチ』以来かなあ。

(あらすじ)

 映画が大好きな主人公ヴィカーはハリウッドで映画の仕事をしたくて、ペンシルヴェニアから出てくる。撮影のセット作りに携わるようになったヴィカーはそのうち編集をやるようになり、その独特の編集センスでカンヌ映画祭で特別賞をもらうのだが……

 

 この小説は映画マニアの話だ、と聞いていたので、映画を見ていない私に読めるかどうか心配だった。
 しかし訳者の柴田元幸さんはあとがきでこう書いている。

だからこの小説は、小説内で触れられている映画作品(の現実における相関物)を知らないとその本質が掴めないということはまったくない。(中略)エリクソン自身、刊行後のインタビューで、「これまで一番励まされたのは、映画はあまり知らないのにこの本にのめり込んでくれた読者の反応だ」と述べている。

 とは言え、書き出しからこうだ。

ヴィカーの剃った頭には彼の脳の左右の葉が刺青されている。一方の葉はエリザベス・テーラーの、もう一方はモンゴメリー・クリフトの極端なクロースアップで占められ、二つの顔はほとんど離れておらず、唇もほとんど離れておらず、二人はどこかのテラスで抱きあっている。映画史上、最も美しい二人の人間──女は男の女性バージョンであり、男は女の男性バージョンである。

  私はエリザベス・テーラーモンゴメリー・クリフトも名前しか知らないので先が思いやられてくる。

 しかもヴィカーの風貌がこれで、さらにすぐキレるので冒頭部分は感情移入をしづらかった。
 しかし途中から、ヴィカーが単に空気が読めず(「僕、人を苛つかせるみたいです」)コミュニケーションをかんたんにとることができないだけなのだ、ということが分かってくる。
 そしてヴィカーは映画が好きだけじゃなくて、飛び抜けた才能があるということが分かってくるとぐいぐい引き込まれていった。

 終盤ホテルでヴィカーはある人物と出会うのだが、その雰囲気は村上春樹の羊三部作とも似ている気がしたとかいろいろ書きたいこともあるのだが、エリクソンのすごいところはやはり情報量のものすごく多い文章だ。

 ヴィカーの部屋に忍び込んだものの、取り押さえられてしまい縛られた泥棒が警察を待ちながら、ヴィカーとテレビで流している映画を見ながら語るシーン(すでにシチュエーションがコントだが)。

「つまりだな、デュークは恐ろしいくらい張りつめた、崇高な心理的複雑さみなぎる演技をやってのけるのさ、そう意図してなのか、ただ自然にグジャラグジャラのアメリカ白人魔法使ってるだけかは知らんけどな。だけど『捜索者』は、ジェフリー・ハンターとヴェラ・マイルズが出てくるたびに駄目になる。フォードはご婦人を全然監督できなかったのさ。そこは我らがハワード・ホークスとは全然違う、ホークスのご婦人方はみんなイケてるし、おまけにタフときてる、まあ確かに全員同じメス狐の別バージョンっていうか、プレストン・スタージェスの『レディ・イヴ』でウィリアム・デマレストも言うがごとく『絶対同じ女だ!』」。泥棒は片足を踏みならして、一人悦に入ってあははと笑う。「つまりさ、『脱出』のローレン・バコールの科白は『コンドル』のジーン・アーサーの科白と一部ぴったり同じだったりするわけだよ。だけど『荒野の決闘』はさ、ありゃもうノワール・ウェスタンだよな、すっごく暗くてさ、戦争だの強制収容所だののあとにフォードが初めて撮った映画だからな、いつものセンチメンタルな馬鹿騒ぎ酔っ払いアイリッシュでたらめ気分じゃなかったんだろうな。(以下ずっと続く。引用者)

 固有名詞の量がすごいですよね。

 私にはほとんど何言っているのか分からない。

 けど情報量というか熱量がすごいことが分かるからいいのだ。
 逆にこの小説を読んでいると映画を見たくなることは間違いない。
 特に『陽の当たる場所』と増村保造『盲獣』は見たくなったなあ。
 エリクソンとしては読みやすいし刺激的。
 さかのぼって以前の作品も読んでみよう。

ゼロヴィル

ゼロヴィル